ヤスオという大学生がいた.彼はリーダーシップに長け,政治に関心が強かった.彼は中学生のころから生徒会の活動に積極的に取り組んでいて,政治思想の書籍を愛読していた.大学に入ってすぐクラスの委員を決める事になった.ヤスオをクラス運営委員長に推す声もあったが,彼はこれを断った.
「自分はクラスの意見を学生自治会に伝える代議員という仕事をやりたい.」
代議員に就任したヤスオは定例の会議に出席して熱心にその様子を観察した.その結果,この大学の自治会活動が実際にどう行われているのか次第に理解するようになった.
日本には全国規模の学生組織が幾つかあり,中でもマルクス主義を標榜する政党と深い関係にある団体が人数の上でも組織力の面でも優位にある.この大学でも自治会の会長を始め委員のほとんどはこの学生組織のメンバーであった.
この大学の自治会は会議の議事進行などの運営面はしっかりしていた.しかし,活動はというと,ヤスオは首をかしげたくなるばかりだった.
核兵器廃絶運動が盛んだった.確かに学生は平和に関心を持たなければならないが,まず自分達の身の回りの問題から取り掛かるべきではないか.学生の間では,自治会は自分達と掛け離れた存在だとの考え方が一般的だった.これでは自治会と言えない.
学校への様々な要望を学生が団結して交渉に当たり,要求を勝ち取ろうという運動もあった.しかしそう言った運動も校舎の改築に関してどうのこうのだのと,ハードウエアの議論が中心だった.
このころにはヤスオは大学の大きな問題が学生が授業に無関心である事だと思うようになっていた.この問題は代議員会の議題に上ることは無かった.
ある日,代議員会でヤスオが自治会長に質問した.
「どうして圧力団体みたいな活動ばかりしているのですか?」
「我々は学生に圧力をかけていません.」自治会長は答えた.
「圧力団体という言葉の意味を知らないのか?」
「そこの君,勝手に発言されては困る.」制止したのは議長であった.
ヤスオは愕然とした.政治活動にこれほど熱心な人が圧力団体という言葉を知らないとは.高校の社会の教科書に太い字で書かれているのに.一体この人とどう会話すれば良いのだろう?
しばらくしてヤスオは再び代議員会で発言した.
「社会には上部構造と下部構造とがある.」ヤスオは黒板に図を書き始めた.「上部構造は政治と呼ばれ,経済と呼ばれる下部構造に支えられている.下部構造を自主的に運営できる実績の持ち主でなければ,上部構造に働きかける事はできない.しかし我々学生は労働者ではない.生産を通じて経済に関与していない.では我々にとって下部構造とは何なのか.我々の日常生活は何なのか.それを把握した上でなければ政治運動はうまく行かない.」
自治会長は熱心に聞き入っていたが,理解している様子はうかがえなかった.初めて聞く話であることは確かだった.
マルクス主義も駄目だった.
やがて,ヤスオはこの自治会の中心人物達とどうすれば会話が成立するか理解するようになった.学生組織の中央機関が運動方針を決め,それをどう推進すべきか各位に文章で指示しているらしい.その中央機関の考え方に染まれば,会話は成り立つようになる.
自治会長は中央機関の考え方を広めるためにやって来たロボットなのだとヤスオは考えるようになった.
ヤスオの大学には他にも熱心に活動をする学生団体があった.国際空港を閉鎖に追い込めば日本が良くなると考えている人々である.そのリーダー格がヤスオに語った.
「我々は反帝,反スタである.」
アメリカ帝国主義にもソ連スターリン主義にも反対だとの主張である.ヤスオはこれを悪い発想だとは考えなかった.朝鮮半島やベトナムで迷惑な戦争を行ったのはだれだ?根本原因は日本に有るとも言えるから日本の青年が運動するのは理解できる.しかしビジネスマンや留学生,それに海外旅行者にとって不可欠な空港を実力で閉鎖しようという手段には疑問を感じていたが.
この急進少数派と自治会を運営する穏健多数派は激しい党派抗争を展開していた.連日のように教室にビラが配られた.大きな看板が次々と立てられた.急進派は赤や黒を好んだ.穏健派はオレンジや緑や青を好んだ.
「穏健派は権力に迎合している.革命する意志を失っている.」
「改革派こそ権力に利用されているロボットだ.学生運動を規制すべきだとの口実を与えている.」
これを主張するビラは面白かった.太った政治家がリモコンでヘルメットの上にアンテナをつけた若者を操縦しているのである.
「自己批判しろ.お前らは完全に観念論に陥っている.」
「事実無根の誹謗中傷だ.徹底的に抗議する.」
スターリニストとトロツキストの対立である.
ヤスオはどちらもどちらだと思っていたが,この穏健派については一つ気になっている事があった.明らかに一つの集団なのに彼らは三つの組織の名前を使い分けて活動していた.
大多数の学生はこの応酬を傍観しているか無視していた.
自治会の中心人物達はヤスオに手を焼いた.自治会長はヤスオに怯えきっていた.ヤスオが自治会室を訪ねると,自治会長は震えて声も出なかった.彼の後継者は自信家で,ヤスオの言葉じりを捕らえて反撃する作戦に出た.二人だけの密室の会談に誘いだし,脅迫めいた説得を試みる冷血動物もいた.
ヤスオはうんざりした.なぜ高校の時からマルクスを熱心に勉強して来た自分がマルクス主義政党の人々の最大の厄介者にならなければならないのか?
そう言えばマルクスが言っていた.
「私はマルクス主義者ではない.」
下部構造に働きかけなければという考えをヤスオは持ち続けた.彼が一年から二年に進級するとき,新入生の歓迎活動をやろうという機運が仲間の間で起こった.ヤスオはこの運動のリーダーに祭り上げられたが,彼は常々やって見たい事があった.
ヤスオが入学した際も学部の上級生が新入生に学校生活の案内をしてくれた.講義についてのガイダンスと称して情報通の者が説明した.
「この授業は楽勝.出席を取る事はない.」
「この教授は受講者全員に単位を出している.」
こんな話ばかりでヤスオはうんざりしていた.大学生は勉強が嫌いだと決めてかかっている.予断と偏見以外の何物でも無い.
ヤスオがガイダンスをする番になったのでこのやり方は全面的に変えた.彼は仲間に呼びかけて各講義の評価を書かせた.講義の人気投票も行われた.
「この教授の授業は理解しやすい.」
「多くの教授がリレー形式で担当するこの講義は色々な学問に触れるチャンスである.」 このような情報が集められ,学園生活の用語集とともに新入生向けのパンフレットにまとめられた.
ヤスオには危機感があった.大学というところは「人に自由を与えると怠けるだけだ」というメッセージを日本社会に伝えるのが最大の役割になりつつあったからだ.
しばらくして天安門事件が起き,ベルリンの壁が崩壊した.東欧諸国を革命の嵐が襲った.ソ連にエリツィンという政治家がいた.彼は右翼という事になっていたがある日突然世界のマスコミは彼は左翼だと言い出した.それまで左翼とされていたソ連軍や治安組織の重鎮達は逆に右翼に呼び変えられた.
やがてソビエト連邦が崩壊した.
共産主義は駄目だというのが世界の常識になった.しかしヤスオの考え方は少し違っていた.
「彼らは共産主義では無かった.だから矛盾を克服できずに政権を失った.しかし,崩壊過程でほとんど流血が無かったことは称賛に値する.共産党にも評価すべき面はある.」
さて,今日の日本の政治を担うプロの政治家に私から苦言を呈しておく.
代々木の人々は資本主義を打倒する根性が無いなら名前を変えることをお勧めする.一番損をしているのは自分達だ.折角高潔な人士がそろっているのに.保守的な人はささやいている.
「あの人達は一番危険だよ.世の中良くしようとか言っているが,政権を取ったら皆の財産と土地を取り上げるよ.ソ連で起きた事をご覧.」
革新党を名乗ることをお勧めする.
自由と民主とはおよそ掛け離れた平河町の先生方は事大党を名乗るが良い.
護憲党,改憲党とそれぞれ名を変えた方が良い政党がある.
今日の日本の政党名をみると自由,民主,社会,共産などといずれも百年以上も前に誕生した思想が冠せられている.時代は変わっている.例えば自由について言えば,いかに自由を勝ち取るかでなく,憲法で保証された自由をどう守りどう使って行くかが現代日本人の課題なのだ.大学生を見ている限り,学問の自由が有効に生かされている様子はない.こういう面でのアドバイスが政党から出ている所を見たことはない.
しかも,古い思想では対応しきれない新たな社会問題が日本人の日常を脅かしている.
日本の政党は大筋においては皆守旧党だ.政党名は伝統を臭わせて権威を伺わせるファッションに過ぎない.
守旧党の手口は決まっている.世の中の進歩を遅れさせる事だ.だから日本中どこでも都市部より農村部の方が投票率が高い.自分達の悩みを真剣に取り合ってくれないのだから,都市の人々が政党に関心を寄せないのは当然だ.
思想に共鳴しない人々の票を得るために何が行われるているか?「政治にお金がかかる」というのは常識になっているが,なぜか?
日本人は政治に無関心だというのは誤った認識である.自分の暮らしている地域に影響を及ぼす問題が発生すると,人々は立場の違いを乗り越えて団結して立ち向かっている.
陳腐な看板は捨てて,新しい発想のもとで結集し直すべきだ.
新興産業の創造道
いじめをなくす博愛道
環境を守る自然道
暴力反対平和道
国境を越える世界道
このような結社が誕生して真剣に活動を始めたらどれも応援したくなってしまう.
党はやめて道にすべきだ.目的地に着いたらパーティーは解散.