幸という漢字の起源については諸説あるが象形文字ではないかとの説が一番興味深い.幸の原型はは手桎の絵ではないかとされている.手桎は今日警察で使われている手錠に当たる.漢和辞典には次のような解説がある.
「昔の社会は法律が厳しくささいなことで厳しく罰せられた.人々は刑罰の恐怖におののきながら日々を過ごしていた.しあわせと言えば刑罰を免れることであった.ゆえに手桎の絵を以てしあわせを現すようになった.このように今と違って昔のしあわせはたいそう切ないものであった.」
しあわせという状態を絵にすることは不可能に近い.だから反対概念を以て表現する.この考えには説得力がある.
だが私の考えは少し違う.
手の状態を思い浮かべてみよう.
パンにバターを塗っている時.
靴の紐を結んでいる時.
本のページをめくる時.
トランプを切っている時.
コンサートで拍手している時.
赤ちゃんを抱いている時.
ジョッキにビールを注ぐ時.
たばこに火を点ける時.
彼女のブラジャーのホックを外す時.
ハイキングする時は手は自由に振れた方が良い.ではお弁当を開く時は?