キリストが生まれる二百五十年程前,中国の秦という国に政という王様がいた.
政には秘密があった.彼は王様なんてやっていたくなかった.やめたくてやめたくて仕方がなかった.しかし彼はそれを言い出せなかった.
当時中国は分裂状態だった.幾つかの国が互いに睨み合っていた.政はさかんに他国に戦争を仕掛けた.戦争に負ければ王様をクビになる.しかし秦の軍隊は良く戦い,連戦に連勝を重ね,あっと言う間に中国全土を統一してしまった.
秦王政は始皇帝と名を変えた.やはり皇帝などやっていたくなかった.しかし考えと正反対の事を口走ってしまった.
「わしは永遠に皇帝をやっていたい.不老不死の仙薬を見つけて持って来い.」
始皇帝は自分の秘密を知られまいとあらゆる努力をした.
中国に敵国が無くなってしまったので始皇帝は人民反乱を望むようになった.クーデターが起これば皇帝をクビになる.人民を殺戮する口実や方法を見つけるのがうまい李斯という男を宰相にとりたてて国の法律を作らせた.よく読むとこの法は人民のまともな生活を禁止していた.趙高という奇怪な男も大出世した.彼の特技はウソをつくことである.
長期政権を維持するためには歴史から学ぶべきだと建言する者がいた.そこで始皇帝は李斯に相談して歴史を学んだり政治を議論したりする事を厳禁する法律を作らせた.
大勢の学者が穴埋めにされた.書物はあやしそうな物すべてが焼かれた.
「わしの国の政治を良くしようとする者は死刑じゃ.」
始皇帝は大規模な土木事業をあちこちで始めた.大勢の人民が動員された.人民を土地から引き離せば田畑が荒れる.やがて耐えかねた者たちが反乱を起こすだろう.人民の負担をできるだけ大きくするため,北方の辺境に巨大な城壁を築くプロジェクトが着手された.これには夥い人民が駆り出された.そのうち少なからぬ者が人柱となって二度と故郷の家族の顔を見ることが無かった.
「わしの命令に素直に従う者は死刑じゃ.」
始皇帝はやがて年老いた.しかし彼は皇帝のようないやな仕事を子孫に継がせたくなかった.そしてまたもや気持ちと正反対の事を言ってしまった.
「わしの子を二世,その子を三世とし,千万世まで伝えよ.」
子孫に楽をさせようと思った始皇帝は国費を使い切るよう努力した.中国史上前代未聞の壮大な宮殿が建設された.自分の陵墓も作らせた.地下に等身大の人形の軍隊を並べ,水銀の川を流し,近づく者を払いのける各種のからくりも仕掛けられた.この陵墓を作るに当たって多くの熟練技術者が動員されたが,工事が完成するや彼らは皆処刑された.
「わしのために懸命に働く者は死刑じゃ.」
やがて始皇帝は死んだ.ずる賢い趙高は皇太子を抹殺し,李斯を処刑し,実権を握った.彼は一応あやつり人形の二世皇帝を祭り上げておいた.ある日趙高は政府高官たちを全員集合させ,連れて来た鹿を指して「これは馬だ」と言い張った.その場にいた二世皇帝は「鹿は鹿だ」と主張した.高官たちは意見が分かれた.皇帝の考えに従った者は皆処刑された.
始皇帝の遺志どおりに.
しばらくして趙高は馬を指して鹿だと言い出した.今度は高官全員の意見が一致した.国中が趙高の言いなりになった.李斯の法律を使えば工夫次第で何でもできた.
趙高の目茶苦茶な政治に耐えかねた人民たちはついにあちこちで反乱を起こし始めた.最初のうちは鎮圧された.しかしやがて反乱は大規模になり,組織的になって来た.秦に滅ぼされた国々の王族や軍人の子孫たちが反乱を指導するようになった.二世皇帝は反乱の責任を取らされて自殺した.三世皇帝が即位したが,この人は二世皇帝ほど暗愚でなかった.彼はすぐさま趙高を血祭りに上げた.
項羽という男がいた.彼は無敵の武将だった.やがてこの若者が秦を滅ぼして王様になるのではと期待する人民がいた.しかし項羽の心中は違っていた.彼は女を求めていた.しかしなかなか理想の人と巡り会えない.この行き所の無い不満をためにためて項羽は暴れ回っているだけだった.猛り狂うには良い時代だった.
項羽は秦の都に入った.彼は手下の兵隊達とともに都で暴れまくり乱暴狼籍の限りを尽くした.そして,三世皇帝を殺した.皇帝の後宮を探しても理想の女はいない.激怒した項羽は財宝を奪い宮殿に火を放った.めぼしい女たちは故郷へ連行した.
いらなかったが.
始皇帝の宮殿は全焼するのに三カ月間かかった.
項羽に王様になって欲しいと望む者はいなくなった.「あいつは冠をつけた猿だ」との評判が立った.そのことを項羽に直言した男は釜茹でになった.
劉邦という男がいた.彼は皇帝に成りたかった.若いころ彼は始皇帝の行進を見た.
「男に生まれたからにはああなりたいものだ.」
「しっ.聞こえてみろ.一族皆殺しだぞ.」
劉邦は本気だった.彼の周りに才能のある人々が集まり始めた.名戦略家の張良.官僚の模範の蕭何.戦場の芸術家の韓信.劉邦は最初は項羽とともに秦と戦っていた.やがて仲間割れとなり項羽と劉邦は敵対するようになった.はじめ項羽が有利だった.しかし劉邦は何度項羽に打ちのめされてもそのつど復活した.
両雄の戦いは長期化した.項羽は力で相手をねじ伏せようとした.劉邦は仲間の知恵を頼りにこれに対抗した.
劉邦はあきらめなかった.
虞という女がいた.中国一の美人.項羽は彼女を見るや一目愡れしてしまった.やっと理想の女性に巡り会えた.項羽は限りない幸福を覚えた.しかしこのころから劉邦との戦いにはさっぱり勝てなくなってしまった.項羽は劉邦との最終決戦に敗れ,短い生涯の幕を閉じた.虞美人は道連れとなった.
劉邦という男は名も無い農民の子として生まれた.さしたる才能の無い男である.強いて言えば,逃げ回ることや謝ること,ぺこぺこ人にお願いして無理を聞いてもらうこと,その類いのことだけは得意だった.彼の興した漢王朝は四百年以上も続いた.