主観言語客観言語

 日本人はとかく曖昧な表現を好むと言われている.はっきり物事を主張しないために,外国で誤解を招き,しばしばトラブルを引き起こしていると言われている.典型的な例が,外国と日本との政府間の交渉である.外国政府の担当者がこんな事を言う.
 「日本はもっと市場を開放すべきだ.」
 確かにはっきりした物言いだ.これに対して日本政府の担当者が答える.
 「そうですね.前向きに検討したいと思います.」
 これが典型的な曖昧表現だと言われている.
 しばらくして外国政府が問い合わせてみると「検討」は全くなされていないことが判明する.外交政府は「約束が違う」と怒る.日本政府は「何も約束した覚えはない」と言い返す.結局双方の溝が深まり国際関係が悪化するだけである.

 「前向きに検討したい」という言葉は国会答弁で良く耳にする.これを口にするのは決まって偉い人だ.事情に詳しい人はこの言葉の本当の意味が「何もしない」なのだと知っている.新入社員が会社の上司の命令に対して「前向きに検討したい」などと答えたとする.「ふざけるな」と言われるのが落ちである.無能な上司なら話は違うが.
 「前向きに検討したい」というのは曖昧な言葉ではない.横柄な言葉である.失礼な言葉である.嘘である.

 しかし,日本語と外国語には大きな違いが有ることは確かである.まず,中学で習った英語の教科書の冒頭を思い出してみよう.
  ・This is a pen.
  ・My name is Ken Oka.
 これは客観的事実を述べている.

 では小学校の最初の国語の授業を思い出してみよう.
  ・さくらが さいた.
 観察,及びその伝達に主眼が置かれている.
 英語は客観言語,それに対して日本語は主観言語である.

 英語を始めヨーロッパの言語には動詞の人称変化という現象が有る.フランス語やドイツ語はもとより,系統の異なるハンガリー語でも動詞は人称変化する.バスク語だけは知らない.
  ・I am right.
  ・You are wrong.
 英語では専ら客観的事実を述べる.自分についての客観的事実と相手についての客観的事実とでは扱いを変えなければならない.特に状態そのものを言うbe動詞の場合は注意が必要である.だから別の活用形,場合によっては全く異なる言葉を使用する.
 客観的事実を述べない場合は特別な表現が必要になる.その最たる物は疑問文である.英語では疑問文を作る場合特別な語順を用いる.


 客観言語である英語に対して,日本語は主観言語である.
 言語の研究はヨーロッパで発達した.日本語はインドヨーロッパ語族とは系統が異なるが,学校で教育される日本語の文法はヨーロッパの言語の特徴を強く意識している.そのためヨーロッパの言語にない要素は雑な扱いを受けて来た.外国人向けの日本語の教科書もその影響を受けている.
 外国人が日本語を学ぶ際どこでつまずきやすいか見てみよう.
 まず,外国人は「テニヲハ」が苦手であると良く言われる.英語には助詞がない.中国人も助詞のおかしな使い方をしがちであると私は知っている.
  ・昨日会ったの人,名前を忘れました.
 朝鮮半島の人達は日本語の親類の言語を話しているのでこの悩みはない.モンゴル出身の相撲力士がいるが彼も日本語がうまい.モンゴル語も同じ系統だと聞く.満州語もそうらしい.ちなみ日本語を最も上手に話すのは日本人ではなく,普段は日本語を使うが同胞と自国語で話す機会の多い在日韓国朝鮮人である.どこの国でも外国人は人一倍言葉に気を配る習慣を持って生きている.だから練習を重ねて得てして現地人より言葉が丁寧になる.
 それにしても在日欧米人はなかなか日本語が上達しない.彼らは概して助詞が苦手だが,終助詞については「か」をのぞいてほとんど使わない人が多い.もう一つ,やたらと抑揚をつけて話す傾向がある.実はこれには深い関連が有る.

 日本語は主観の表現が基本である.その中で終助詞は重要な役割を果たしている.終助詞とは何か.ここでは文法の教科書に記載されている物ばかりでなく,口語,俗語,方言で実際に利用されている終助詞を広く検討する.なぜなら終助詞は話し言葉で頻繁に使われるからである.
 終助詞は短い音節の中に大きな情報を抱えている.具体的には以下のようである.

 ・自分が文中の情報についてどれほど確信を持っているか.
 ・相手が同じ情報についてどれほど確信を持っていると思われるか.
 ・どういう態度で情報のやりとりが行われるか.

 具体的に見てみよう.まず,「よ」を検討してみる.この終助詞は女性の方が男性より多用する傾向がある.絵本を子供に見せている母親を想像して欲しい.
  ・象さんよ.
 母親は絵の動物が何か完全な確信を持っている.子供はほとんどあるいは全く知らない.情報伝達の態度については,表現しづらいが,母親が赤ちゃんに乳を授ける時のようだ,と言えば良いのだろうか.送り手は無償で情報を提供し,受け手はほぼ無条件に受け取ることが期待されている.どうしても受け取れないないなら無理強いはしないが.

 ではよく若い男性が使う「ぜ」はどうだろうか.
  ・こんなことしていたら日が暮れてしまうぜ.
 ここでも話者は情報に高い確信を持っている.相手についてはどう考えているか気にしていない.送り手は自分の情報を信じるよう強く働きかけているが,「勝手に行動して良い」というニュアンスが強い.相手を説得したい場合は男性でも「よ」を使う.
  ・ばれたらやばいぜ.よそうよ.

 疑問の終助詞とされる「か」を見てみよう.英語では質問をするのに疑問文という特別な構文が必要である.しかし日本語では終助詞を一つつけるだけで何でも質問できる.
  ・あなたは運転免許持ってますか?
 質問する側は情報に自信がない.相手は確実な情報を持っていると期待される.親切に情報伝達をして欲しいとの要求が感じられる.「か」には他の用法もある.
  ・間に合いませんでしたか.
 これは疑問文ではない.しかし自分より相手の方が確度の高い情報を持っているという構造には変わりはない.日本語の疑問という概念は英語のそれとは随分異なることがこれでわかる.

 質問する側が情報に自信を持っている場合は「ね」が使われる.
  ・以前一度お会いしていますね?

 「け」は過去形だけにつく終助詞である.なぜかはお考え頂きたい.
  ・彼の父親は公務員だったけ?

 以上を参考に「ぞ」「わ」「な」「とも」「もん」なども考察して見て欲しい.どういう性別や年代の人々が頻繁に使うかは手掛かりとなる.「よね」「かよ」などと終助詞を重ねる場合が有る.これらも検討して欲しい.
 それから日本各地には独特な終助詞がある.東北地方では「べ」が良く使われる.東海地方には「ら」という至極便利な終助詞がある.天竜川流域には「に」という習得困難な終助詞がある.千葉茨城の人達は「ぺ」「ぺよ」を良く使う.自分の住んでいる地方の終助詞は是非研究して欲しい.
 電子メールは文語のはずなのに終助詞が多用されている.スマイリー記号も終助詞と似た役割を果たしている.これは何を意味するのだろう.


 日本人はNOと言えますよ.ただこれは英語ではうまく表現できませんね.

  Copywrong