いやはやオウム真理教教祖麻原彰晃という男の知力には恐れ入る.
地下鉄サリン事件の翌日テレビを見ていたらオウム教の弁護士青山吉伸が記者会見を行い,事件への教団の関与を否定していた.彼は教団の言い分を真剣に伝えていたが顔色や声から困り果てている様子が伺えた.それを見て私は思った.
「見ててみ,この男.じきに女性ファンクラブができるぜ.今の時代誠意とは正直ではない.いかに一生懸命虚をつくかなんだ.その意味ではこの男,誠意にあふれている.」
私の予想は一面では当たっていたが,結果としては大幅に外れた.なぜなら教団はスポークスマンを上祐史浩という男に変えて来たからだ.彼はこの重任に打ってつけの現代的意味での誠意あふれる男だった.彼はすぐさまテレビ局から引っ張りだことなり,やがて女性ファンクラブもできた.少なからぬ者が入信した.だれもが凶悪集団と見なしていたオウム教に.
麻原彰晃の思惑は的中した.
これを見た私は久しぶりに手応えのある連中が出て来たなと思った.
一連のオウム事件について教祖本人の裁判が始まった時の話である.初公判の開始に当たって,弁護側と裁判官の間でトラブルが起きた.麻原彰晃は教祖の法衣を着て裁判に臨みたいと主張した.裁判官はこれを認めなかった.理由はその衣装が証言者を威圧しかねないからということであった.
麻原彰晃の思惑は的中した.
裁判所が「オウムの物には不思議な魔力がある.危険だ.怖い.」そう認めたのである.
なぜ麻原彰晃は地下鉄でサリンを散布するよう命令を出したのであろうか.捜査の攪乱をねらったのだというのが定説になっている.私はそうは思わない.教祖の真のねらいは信者獲得にあった.彼は教団の絶体絶命の危機を布教の絶好の機会ととらえた.
地下鉄サリン事件以来,マスコミは連日オウム教のニュースを流し続けた.やがて教団の内実や関与してきた事件の全貎が明らかになった.ワイダショーが音頭を取って日本中に麻原憎し,オウム憎しの大合唱が沸き起こった.その結果,今や日本中至る所オウム教の信者だらけである.
麻原彰晃の思惑は的中した.
なぜなら麻原彰晃を憎悪する者は麻原彰晃の崇拝者であるからだ.
なぜ憎む?確かにオウム事件は夥しい数の被害者を出した.しかい日本の全人口からすればほんの一部だ.関心が高いのはわかる.しかし憎悪する必要は何もない.
なぜ憎む?時同じくして起こった阪神大震災の方が被害が大きかった.だれも地震を憎悪などしていない.明らかに防災体制に手抜かりのあった自治体を憎む者もいない.
なぜ憎む?松本サリン事件でひどい目に遭った河野義行という男はオウム教を憎んでなどいない.そのエネルギーを警察とマスコミの問題体質の指摘に向けた.それも一段落したので今や奥さんの看病と子供の教育になるべく多くの時間を充てている.
人を憎悪すると不思議な事が起こる.自分が憎悪の対象に似て来るのだ.
歴史的な例を見て見よう.
ローマはカルタゴを憎んだ.ポエニ戦争が終わるや,ローマはカルタゴそっくりの国になってしまった.地中海に敵のいなくなったローマは今度はペルシアを憎むようになった.ついに専制君主が登場し,議会を解散してしまった.ディオクレチアヌスの先祖はどれほど苦労に苦労を重ねてローマを王様のいない共和国にしたことだったか.
平清盛は武士を見下す貴族を憎んだ.彼にとって出世することは貴族になることだった.武士の魂を失った平家の公達は源氏の反攻になすすべもなく滅ぼされてしまった.
朝鮮半島の人々は自分達を植民地支配した日本に対して独立後も反感を抱き続けた.彼らの間では朝鮮戦争も日本のせいだとの見方がある.今日の彼らを見るがよい.北朝鮮は太平洋戦争中の日本そっくり.韓国は今の日本そっくり.
同じく日本の植民地だった台湾の人々はそれほど日本を憎まなかった.台湾は日本同様貿易立国であるが,日本にはない経済上の強さがある.
韓国の友人が言っていた.「韓国の人は日本を憎みながら日本に憧れている.」
憧憬と憎悪とは同じ感情の二つの味に過ぎない.
なぜ日本人は麻原彰晃に憧れるのか?
それは彼が日本を破壊すると決心しているからだ.多くの日本人は日本が破壊されることを密かに願っている.決して表には出さないが.なぜなら日本という国は人を幸せにしないからだ.
一生懸命勉強してもきつい仕事にしか就けない.
まじめに働いてもたいした給料はもらえない.
金持ちになったとしても心は満たされない.
どうも不幸な人ほど麻原彰晃を憎む傾向が強いというのが私の観察だ.
ともかく,どんな形であれ,日本の中で憎悪が増えて広まれば麻原彰晃の思惑通りだ.彼が処刑されたら今ある憎悪は別の対象を見つけるだろう.そして,最後は日本人どうしに向けられ,彼のねらいどおり日本は破壊されるだろう.
日本の破壊を防ぐ事はもはや無理かもしれない.オウム教はじめ,ワイドショーが標的に定める者に対する憎悪は途方もない.社会のあらゆる面における硬直化も終末の兆しである.現実を直視せずに理屈をつけて胡麻化したり,「大したことない」と自分を偽ったり,別の興味関心に熱中して逃避したりするという傾向にも拍車がかかっている.